第二回創業支援セミナーの様子をお伝えします!
近年S N Sの普及、P C・カメラ等が手軽に購入できるようになったことにより、
広告・デザインに対する需要と供給が増えています。
そこで、第二回目のテーマは
“クリエイティブ“
既にクリエイティブな事業を行なっている
先輩講師をお招きし、
事業の話を伺ってみました。
☆講師
・anaikim
デザイナー 穴井 優 さん
・離島経済新聞社
編集長 鯨本 あつこ さん
・株式会社 Studio KURA
主宰 松崎 宏史 さん
☆セミナーレポート
穴井 優 さん
(↑HPをプロジェクターにて投影しながらの講義となりました。
上のリンクからチェックしてみてください。)
日田市内で
デザイン、編集、ブランディングなどを仕事とし、
ヒタスタイルのメンバーでもある穴井さん。
私たちの身近に、穴井さんが担当したデザインは沢山あるんです。
そんな縁の下の力持ち穴井さんにご講義いただきました。
「大好きな音楽に関わるデザインをしていたけれど、今後のことも考えてもっと広く色んなデザインに携わりたい」
同じ会社の先輩と独立し、
anaikim名義の活動を開始した穴井さん。
創業後は元々ポートフォリオが音楽関係、エディトリアルが多かったこともあり、
同じような仕事が続いたそうで、
ありがたいけれど、どこかで脱却しなければと思い
個人的な趣味でもあったアロマキャンドルをプロデュース。
オリジナルプロダクト、オリジナルデザインのものを自費で1000個製造。
今までの取引先や知り合いに営業をかけ、気合いで完売されたそうです。
思い切って作ったキャンドル1000個が、
コミュニケーションツールとなり、
自分たちのデザインを知ってもらい、
パッケージや商品プロデュースのきっかけになったそう。
自分のやりたい事を思い切ってやってみて、
形にしてしまうことも大切なのだなと教えてくださいました。
また、皆さんご存知
ヒタスタイルの話題にも触れて頂き、フリーランスでデザインを仕事にする人が更に増えて、日田のデザインを底上げしたい。
という熱量のある言葉も聞くことができました。
そんな穴井さんが仕事の中で重視していることは
「ヒアリング」
クライアントが「どういう目的で仕事を依頼しているのか」
「目指しているものはなにか」を聞き出し、
一緒に考えることを大切にしているそう。
寄り添い形にしてくれる穴井さんのようなデザイナーさんが
日田にいてよかったなと思わせてくれました。
鯨本 あつこ さん
学生時代を日田で過ごし、
福岡・東京で仕事をされ、「離島経済新聞社」という日本の離島にフォーカスし、
伝える活動を続けている鯨本さん。
編集者からライターやイラストレーター、経営者まで、
ざっと紹介して頂いた肩書きは、10個以上。
20代の頃は、
美術家のアシスタントをしたり、イラストレーターを目指したり、
色々なことに挑戦され、
編集の仕事にも携わったそうだが、
その時は数ある仕事の中の一つでしかなかったそう。
さまざまな仕事をする中で、
「ひとりではなく仲間と仕事をしたい」と思うようになった時に
【世田谷ものづくり学校】や、たくさんの仲間と出会い刺激を受け、
追いつけるように本を読んで、たくさん勉強されたとのこと。
その後は、「世田谷くみん手帖」を手がけたり、「東洋経済オンライン」でライターをしたりと、
さまざまな仕事をマルチにこなし、
離島経済新聞社をスタートさせてからは、経営者としても活動されている鯨本さん。
そんな鯨本さんから参加者へ「ビジネスマナーは最重要」とアドバイスもありました。
人から人へと仕事紹介してもらい、
事業が広がっていった。その時に最低限のビジネスマナーがないと、
信用も得られない。と、
仕事をする上で土台となる話も実体験を交えながら聞くことができました。
様々な職種をこなしてきた鯨本さんの話から、
仕事への向き合い方を学び、
参加者も多様なステップアップを想像できた様子でした。
松崎 宏史 さん
「糸島市から世界に文化発信」を合言葉に、年間100名以上の海外作家を招聘するアーティスト・イン・レジデンスプログラムと、美術教育事業として約20の拠点に加え年間1400回もの出張教室を展開している株式会社Studio Kura代表の松崎宏史さん。
金勘定から縁遠いと思われがちなアートの事業化を実現している一人としてご講義いただきました。
「やりたいことをやり続けること、その環境を自分で作ること」
大学で美術を学んだ後、留学と制作活動をベルリンで行っていた松崎さん。
家庭の事情で、一度帰国するもアートと無縁の職に就く。
煮え切らない毎日を過ごす中で、実家の蔵を見てクリエーターならこの素材を何に使うだろう。そんなことを考えていたそうです。
再びベルリンに移るも’07年にはじめて蔵にアーティストを呼んで作品制作を支援。
このことがきっかけになり、翌年帰国。
そして2010年「Studio Kura」という会社を立ち上げました。そこではArtist in Residence Program(アーティスト・イン・レジデンス)といって、米蔵をスタジオとして開放し、海外から来た芸術家が1~2カ月そこに滞在して、作品を作り発表するというプログラムです。
ヨーロッパでは、まちにひとつはアートの拠点となるようなギャラリーや美術館、センターなどが必ずあって、大人のエンターテインメントとして夜はみんなで展覧会を見に行く文化があります。
このプログラムに参加したオランダ人の芸術家から田んぼで作品を作りたいという希望がありました。さらにこの米蔵のスタジオを見学する人も増え、糸島の特色でもある農業とアートを組み合わせたら面白いのではないかと感じ2011年冬に芸術祭『糸島芸農』を企画し、翌年秋に第1回目を開催しました。
糸島芸農は、芸と農がひとつに融合した言葉。
この何十代も続く農家が多い土地柄で、農は必然。
しかし一緒の場所に存在していても、完璧にわかれてしまっていました。
もっと出会う空間をつくって、なにか一緒につくることが芸農だと思います。
その結果、農家がアーティストのようになったり、アーティストが農家になったりしてもいいし、ならなくてもいい。その混ざり方もいろいろでいい。半農半Xという言葉がありますが「地域や社会自体が、半農半Xになればいい」
個人が両方やっても良いのですが、地域全体として、農家もいればアーティストもいる土地。半農半Xビレッジ。農家のまちに、クリエイティブな血が混ざっていくことが面白いのです。
『糸島芸農』は隔年で開催し昨年2021年にも行いました。松崎さんは、アーティストたちが糸島の新たな魅力を引き出してくれているおかげで、だんだんと地元の人にも認知され、これからも神社のお祭りのように続けていくことで、目的でもある地域活性化に繋がっていくのではないかと考えています。
収入の柱は美術教室を主宰しています。当初は生徒集めに大変苦労しましたが、幼稚園、子ども園に出張教室を行うようになってかなり安定しました、最初はコネもなく飛び込み営業のようなところからのスタートでしたが、そのうち口コミで仕事が入ってくるようになりました。
「やりたいことをやり続けること、その環境を自分で作ること」
そのためにはお金と時間も必要です。でも松崎さんはそのために割り切ってまで「やりたくないこと」をやるのでは無く、美術教室という事業で経営努力をして、その原資を捻出しています。自分の好きなことを生業にする上で理想ともいえるその生き方に多くの参加者が共感していました。
☆総括
今回のテーマはクリエイティブ。
一般的に作品と出会うことはあっても、制作者の気持ちや考え方について触れる機会は少ないかと思います。
本セミナーでは、講師陣の話(生き方や考え方)を聞きながら作品を拝見させて頂きました。
話の中には、参加者と同じ迷いや葛藤、挑戦と対峙していた駆け出し時代の話もあり、
そうした経験が現在の作品に活かされていることも理解できました。
今回のテーマに類される業種の最も難しい点は、値段設定だと思います。
今回繋がった先輩事業者と今後も関係を紡いでいくことで、
ヒントを見出せる回になったのでは無いかと思います。
第一回に引き続き、参加者からの質問も多く飛び交い、
濃密な時間を過ごすことができました。
参加者の皆様、講師の皆様
ありがとうございました。